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2017年6月4日日曜日

雑記 自動車教習の全て

ここでは、我がやった自動車教習のことを述べていく。今から10年もすれば記憶が薄れそう。
今のうちにここに書いておくのが適だと思われた。

実費でなく教習を受けられるとのとこで、我は喜んでではないが教習を3月より開始した。
まずは説明会が。これはまあ、特に言うことはない。そして適性検査。これは図形の認識が少し時間がかかったような印象。しかし計算に関しては相当速かった。我々理学部数学科はやはり計算もはやいはず。まあ正直最近計算など要求されないが。ほとんどが理論や概念、定義などの話。
やたらわけの分からない記号がたくさんでる。計算はコンピューター頼り。
なお、常時関数電卓をかばんに常備している。たとえば3次方程式とか、tanからの角度算出(arctan)や、簡単な近似計算などに用いる。なお我はこの前の英語の宿題で3次方程式の解法を英語で示した。これによっていつの間にか頭の中に3次方程式の解き方が身についた。

それで、適性検査の結果はそこそこ後になって通知された。我、精神的な所見がマイナスが大目。
マイナス3とまでは行かないものがほとんどだが。(唯一社交性がマイナス3。なるほどこのテストは信用できるな…。)唯一忍耐力だけが+だったという結果。…そう、我は精神的に弱め。特にあまり自分に自信が無い(最近は身体的には元気なことが分かってきたので自信が無いことはないが、
怒られたり失敗するとやたらそのことが頭に残ってしまう。これはつらい…)
その顕著な例に沖縄修学旅行や自動車事故寸前事件などが上げられる。またのちほど。

適性検査は能力的な部分においてはすべて+。特に慣れの速さと持続力が+3で特に優れていた。
まあ数学などをやるに当たって新たな概念や記号などの扱い方を速く覚えないと、講義がやたら難しいので、手に負えなくなる。持続力もやはり必要で、大学入試などを考えると最低でも150分は難問に対して闘う精神力がないと難しい。やはり二次試験ともなると試験時間が普通に150分あるので。

さて、1段階の学科教習は、とりあえず10個あった。技能教習は、それからになった。
初めて自動車に乗った日。覚えていないが、おそらく指導員が操作して2階の練習場所に連れて行ってもらった。まだこのときは発車の仕方すら分からない。
それで、初めて車を運転する日は、たぶん緊張したとおもう。とりあえずまず前と後ろ確認、それからドアをしっかり閉める、そして座席、ルームミラー、シートベルト、エンジンでやっと準備完了。
初めのころはちょっと覚えづらかった。だが2段階ではすでに慣れていた。
最初は右カーブの練習。それほど難しくは無かったが、やはりはじめての運転とあって、とても遅い速度で進行。自転車より遅いのは間違いないだろう。
それから左カーブの練習。たしかに若干カーブはきつかった。
そこから、下のコースに降りて、交差点の通行や曲がり角の曲がり方、S字クランクなどをやった。
一回時速50kmをだす練習もした。教習所内なので、結構大変。すぐにブレーキとなる。
まだ第1段階では、目視、確認などはただ形式的に行っていただけ。なぜか。
左折、右折しようとしてもまず確認目視からの指示器で寄せるなどを、教習所でやるには時間が無さ過ぎる。なので、じっくり実際に「見る」余裕などなかった。だがそれは路上で解消された。

そしてまだ交差点などが難しいなか、修了検定を迎えることとなった。受かる気はあまりしなかった
。だが受かっていた。ここで話が若干変わるが我の性質として、なぜか本番で力を発揮するという謎の特性があるらしい。ただ、その代わりに普段はぼぉっとしていることも。
自転車や自動車に乗ったりしているときは周囲に気をつけている。それでもさすがに自転車同士の衝突は避けられなかった。ブレーキを使っても急に止まらないので、こればかりはどうしようもない。そして残念なことに横から激突されてしまった。相手が自転車なので特に怪我らしき怪我もなかった。よくあのときこけなかったと思うわ…。
昔から発表会などで、失敗した覚えは無かった。受験でも失敗経験は無い。
途中までうまくいかずに、これはどうしよう…と思われることは普通にあったが、なぜか残り時間後半になってくると突然問題が解けだしたりする。
これらの特性のおかげで、センター試験で無駄に緊張して失敗することもなかったし、二次試験でも普通に受けることができた。まあ同志社では緊張ではないんだが腹痛で試験前にトイレ行きになったんだが。
そういえばこの特性は飛び降りなどでも感じられる。普通は2m程度で練習して、いざ最後の2.7mの飛び降りとなると、体が緊張しだす。実はこの飛び降りる前に坂を上るのだが、意識が若干ぼおっとしているのである。たぶんあまり考えたくないのだろう。さすがにしっかりと意識が清明過ぎると、今時分のやろうとしていることが怖いことだとわかるので。いわば無心でやっている。
それで、ものすごく脚がすくんで飛び降りようとしてやっぱりやめての繰り返しなど、とても精神状態が不安定になっているのだが、飛び降りるといつも着地の姿勢が統一される。
ただ、まあ中学校の頃はこれに失敗して怪我したが。まああれは明らかな経験不足。
いきなりはじめて2.5mをコンクリートに向けて飛ぶのだから無理は無い。しかもあれ、めっさ怖い。
何事も一度経験しておくに越したことはない。
我がしばしば自信過剰になるのも、やはり何度か経験があるから。
本番に強くなければ、今頃は5月に実施した飛び降りで失敗して骨折とかになっているだろう。
あの衝撃は脚で受け止めないと耐えられない。胴体から落ちれば下はコンクリート。たぶん意識を失うほどのダメージになるかもしれない。
あと、こういう本番に強いのが感じられるのは、小学校プールのテスト。
思えば、25mをぎりぎり泳ぎきったが、過去に25mを泳ぎきったことは一度も無かった。
今思うと、どうやってそれまで無理だったのが最後の最後の授業でできるようになったのか。
夏休みの練習で25m泳げていた?…いやそんな記憶はなかった。
25m泳ぐのは苦しかった。バタ足をして手は水を必死で掻いてなんとか顔を水面に浮き上がらせて呼吸。だがすぐに体は沈んで水面から大きく水中に顔が落ち込んでしまう。それをもう一度水面に上げて呼吸をしなおすのに一苦労。まあ、要するに、ほとんど泳いでいるというよりは溺れている。
この頃背浮きができなかったので…。クロールのような何かで必死にもがいた。
だが実はプールの半分程度行ったところ(後半は苦しいはず)で、奇妙な感覚になった。
体が水中に沈んでいるときだった。なぜか途端に冷静になって、この状況に若干の快楽を覚えたのだ。一体これがなんだったのか。まあそれでも後半は苦しかった…。
この苦しさ、泳ぐのが得意でない人しか分からないだろう。そういえばいつも5m程度しか泳げなかったのになぜこのときだけ泳げたのか…。まさか本気を出していなかった…?
実は我、極力本気を出そうとしない性質がある。特に球技でそれは顕著に見られる。
なので、さぼっているようになってしまう。というか体育全般は本気を出さない。というかきっと出してもしょぼいのだろう。そんなことが頭をよぎるので恥ずかしくてできない。
ただし、どうしてもがんばらなければならない場面ではやる様子。
そういえば高飛びとかやったが、基本は我の「やっているかのようにみせかける作戦」により難を逃れる。ただしテストでは一人ひとり計測するので逃れられない。
高飛びとかは、もちろん跳躍力は我にはあまりない(ただし階段の駆け上がりは得意なので、壊滅的ではない)ので、せいぜいできて1mちょっとか?もうまったく記録を覚えていない。
それで、やっぱり怖がりなのかは知らんが、飛び上がった姿勢はやっぱり基本的に脚が下。
もうなんというか、空中では脚を下にしていないと落ち着かない。飛び降りの衝撃などはよく知っているので。着地は覚えていない。ただ、やはり胴体からは落下したくなかった気がする。
だが我としては高飛びより高飛び降りのテストがやりたかった…。
たぶん安全の関係上実装されることはないだろうが…。
下にマットがあれば、怖さも軽減されるので3m,4mはいけるのではないか。
下が固すぎるコンクリートでは、せいぜい2.7mが限界。これ以上は怖さでできない。
衝撃も大きく、体の四肢と首にかかるダメージはそこそこ。動画ではそれほど激しい着地ではないのに…。結局飛び降りの練習が学校であったのは、小学校のときにあったマット運動か何かの一環としてのものだけ。たぶん女子たちは手をつないで一緒に飛び降りていた。
我から言わせるとそれはならん。手がつけないと上半身のダメージは大きい。
…まあとても柔らかなマットが下にあって、しかも舞台の高さは1mくらい。
クラスの中にはそこからちょっと飛び降りただけで(このときマットはなかった)バランスを崩す人がいたが、それでは我のやっている飛び降りをすると致命的。
はあしかしよくあんな危ないことをするもんや…一歩間違えれば結構大怪我が考えられる。
だが加速度の値と録画、経験のしたさでやってしまう…。ただし3mくらいになると怖さが勝って制止されるんだが。
話を戻して、夢の中でもそういうときに力を発揮?していることがある。
最近の話では、なぜか砂場で怪我を負った(なんでかは知らん。夢なのでまったくつじつまがあっていない)ときに口に砂をつめだすという奇怪な行動をとった。
だがよくよく考えれば、そういえば砂は圧縮するといいし、口の中なら圧をかけられるし、それで止血ができる。しかも血が砂にしみ込んでくれば怪我している部分に接触している砂は止血のためにそのままにして、あまり接触していない部分を取り替えればよい、と。
だがよく考えんかいとも思う。砂なんて口につめれば気持ち悪いことこの上ない。
なかなか口から砂を排出するのは難しいと思う。そのリスクを犯してまで止血したかったらしい。
しかも砂とか、衛生上良くない…。
ただ口内の出血はとても嫌い。あの血の味がなんともたまらなく嫌。おいしくない…。
あと、口の中に髪の毛が入るともう最悪。すさまじく気持ち悪い。
他、ゾンビがチェーンソーを持って襲ってきたとき自身の飛び降りの力を生かした。
いやちょっと待て。なんで飛び降りるために突き破った壁がハリボテ級やねん…。
普通壁なんてつきやぶれるわけないやろ…。夢とは不可解なものだ…。
いすを使ってリーチを取るとはたいしたもの。あのときたしか立場が監視者だったのですぐさま逃げられなかったのがある。やはりプライドを優先する傾向があるのか…よくない。
あのとき感じた、夢の中なのに赤い血の存在を、そしてきられたときの冷たい金属の感触。

そろそろ話を終わりにして、第2段階へと突入。仮運転免許を入手した我は、いよいよ路上での運転を行うことになった。なお一度、車線をすぐに変更しようとして危うく車に激突されそうになった。
たぶん指導員がいなかったら、死んでいたりして…。いやそこまではいかないか…。
運転席にいて右に進路を変えようとしたので(なおこの日、体調はあまりよくなく、しかもその前の交差点で突然の右折申告に精神混乱状態。まあ要するに混乱していると死ぬかもしれない、ということ)右から突っ込まれればそれこそ大ダメージ待ったなし。
どれくらいの衝撃がかかるのだろうか…と気にもなったりする。
だがたぶんこんな感じか、程度ではすまないほどの衝撃を食らうので、一瞬で意識が飛ぶかもしれないし、はたまた体が飛ぶかもしれないし、車が飛ぶかもしれない。
衝撃を経験した、といってもせいぜい自転車、飛び降り程度。車の衝撃に比べればこんなものはおそらくすずめの涙程度なのだろう。
なおこの事件のせいでしばらく悲しくなってしまった。うん、精神が弱い。
結構自分に自信がなくなることが多い様子。

ここでいよいよ禁断の修学旅行の話。自分に自信が無くなって泣いてしまった(高2)情けないお話である。
我は、修学旅行の3日目くらいに、朝食をとりにいかねばならなかった。
だが、我はその朝食に遅刻してしまった。
今思うと、そんなん自己責任やしなんで怒られんとあかんねん。まあ集団行動なのでそうなるのは当たり前の話だが、何時間も遅れた訳ではなくたぶん10~30分。そのときは他のクラスが朝食、という時間帯になっていたので別に迷惑は係員にもかけていない。
もちろん、遅刻するのはよくないことだと我はしっかりとわかっているが、いま思えばちょっとやりすぎだったのではないかと思う。ただ怒られるだけではなくて、メンバー全員朝食の際に何かを言われた気が。この時点でとても精神に不安をきたしており、もう朝食などおいしく食べられるはずも無く、つらかった。それで悲しくなって部屋に戻ろうとしたところ、友達よりこんな報告が。「まだ怒られないといけないらしい」。この言葉に我は真っ青…とまではいかないが精神はより不安定になったであろうことは想像に難くない。そして待たされる。屈辱。その後先生に怒られる。ほかの人が見る。いわば公開処刑である。もうこのとき怒りというより、情けなさがこみ上げてきた。
そして一通り怒られた後(ここで理由などを言われたがなんとか自分に責任があったことを認めたことによりダブル叱責は避けられた)、ホテルに帰る。涙が出てきた。
でも友達にないているのは見せたくない。自分だけ歩く速度が自然に遅くなって、
部屋に一人だけ戻れず、ひとり外で30分間くらいずっと涙を流し続けていた。
もうなんというか、自分にあまりのふがいなさを感じてしまった。一瞬ここから飛び降りようかなどが頭をよぎったが、さすがにそれはしなかった。今でもその跡は残っている。涙がたくさんでてきて拭くために修学旅行の要綱を使った。たぶんそのときのページは今でも紙の様子が違うようになっているのだろう。深く反省しすぎてしまった。

もう一度いうが、我はとりかえしのつかないことをしたのではない。ただの少しの遅刻、しかも迷惑があまりかからないものである。
さらに、遅刻といっても自分が原因ではない、自分は相当朝早く起きてその後ずっと起きつづけていたのだがグループのメンバーがまた寝てしまい起こすのをはばかっているうちに時間が経過してしまったのである。
まあ要するに、グループの人の眠りを妨げないでおこうという余計な慈悲のために自分が涙を流す結果となったわけである。
遅刻による精神的ダメージは30分泣いただけでは収まらなかった。
その後バスに乗る前に朝礼があるのだが、ここでまた泣きがこみ上げてきた。
何かこうして記事を書いていると、今の自分も悲しくなってくる。
みんなに見られまいと必死でうつむいていたような気がする。
その後バスに乗ってちゅら海水族館などに行くも、同日のショックがあまりにも大きく、全然楽しめなかった。その日は日中、このショックが常に付きまとった。
おまけに水族館ではじぶんだけなぜかみんなとはぐれて、悲しい思いをした。
もう散々である。沖縄に修学旅行なんて行きたくない…。

たぶん学生時代で、これほど泣いたことはないだろう。他に泣きかけたりしたことは、宿題を提出したのに最後のところだけできておらず、後でそれに気づいたが、「宿題を忘れた者」として申告しなかったばかりにあおとで一人ひとり職員室に呼び出されて説教を食らう、という事件。
あの2ページさえやっていれば…悪気は無かっただろう…やはり最後の最後だけやっていなくても
だめだったらしい…。
他、文化祭で集合時刻につい楽しんでしまって(たしかその理由は呼び止められて遊んでいた?スーパーボールか何かで)時刻に数分くらい?遅れたときに頬をつねられてそれほど深刻な感じでない怒られ方をされた中学1年生。そんなんで泣きそうになった。以後の文化祭はそのときのショックでまったく楽しめずそのまま家に帰ってしまった。もったいない。

これらのような出来事で泣く人、いるのか…。
こんな些細なことで泣くのはきっと我くらいだろう。以後遅刻が恐ろしいものとして定着した我は、
極力遅刻しないように気をつけていた。というか怒られる前から遅刻はあってはならないもの、として脳に刻み込まれていた。もちろんそのため中学高校で遅刻など数えるほど。1学年に1回あるかないか。遅刻に慣れていないので遅刻したときの精神的ダメージは、先生に怒られる前から相当大きい。こういう状況になっている自分を認めたくない。
よって我自身、遅刻するのは大嫌いである。ただし人に遅刻されるのは、こちらが待つだけなので、たとえばレストランで何十分も待たされても、まあイライラする程度で済むし、別に相手に文句も言わない。
おそらく怒られることに対する耐性があまりにもなさすぎるのだろう。
先生がちょっと自分に対して怒っただけでも、精神的には相当なダメージが来る。
これは基本的に一生忘れないくらいのインパクト。というか怒られなくても遅刻はほぼ記憶に永遠と残る。
これは…虚弱すぎるやろ…。

ただその反面、身体的ダメージにはまだ強いほうで、子供の頃から怪我などの痛みで泣いた記憶はない、というより怪我自体ほぼしなかった。最近飛び降りで予期せぬダメージなどを負っているが、痛いというほどのものですらないので。
特に最近は自身の血に対する耐性がついた。献血では自分の腕に刺さった針を見て、しかも抜かれた血を見たいと希望するほど。
だが、やっぱり今になっても骨折などの怪我すらしたことがない。ちょっとした怪我ですらまれ。
これは我が怖がりで慎重だからだろう。あと身を一応ある程度守ることができるのも理由のひとつ。というか、普通に学校に通っているだけで怪我をするほうがまれだろう。
最近飛び降りたり自転車に乗ったりしているので相応の衝撃を受けたりはするが。

そういえばここ3週間くらい飛び降りていない。もう動画もデータも取ったし、家の屋根はあまりにも怖かったという理由がある。高所からの飛び降りは非常時だけで十分や…。

ところで、とあることに気づく。我はとっさの場面で危険を回避できるんか?ということ。
この点に関して基本は若ければ、それができることが多いのはなんとなく分かる。
自転車での激突などは顕著な例。
あと夢の中で自身が行っている行動にもそれは現れる。だがこれ、夢では時間の流れがあまりないので、どれだけの時間でそういう行動を考えているのかがわからない…。
うまいこと危機にあっても機転を利かせて逃げているらしい。夢では。
例1 机などを障害物として相手の進行を防ぎつつ周囲に救援要請
例2 椅子で相手からの距離を取りつつ、椅子が破壊されれば手で凶器を受け止めようとする
(ただこれ、相当危険で、まず無理やろ。だがこのときなぜ立ち向かったか謎。)
しかしそれでも受け止められず手を怪我したら、それにかまわず必死に飛び降りて逃げて相手の自滅を図る。
だがこれが実際現実で起きてしまうと…たぶんこのようにはいかないだろうか…?
手で凶器を受け止めようとするとたぶん他の場所を刺されて動けなくなるかもしれない。
相手の凶器がチェーンソーでしかもゾンビだったからこその判断だったのかもしれない。

あと余談だが、モンパレで大当たりする夢を見るが、いつもこれ、夢の中で夢か判定してしまう。
これも現実での行動が現れている。なお、夢と認識するときとしないときがある模様。
ちなみに、怖かった夢での体験を最近書き下そうとする性質が発生したが、これが夢にも
同様に現れる。そういう出来事をなんと夢の中でつづろうとする。
ようするに夢が2重構成になる。
こういうことから夢の中の自分は現実の自分と相関性がとても高い。
なので、例のようなことを現実世界で行う可能性はふんだんにある。
凶器で手をさされたりしてもとりあえず手なら大丈夫なので、止血の処置などは後に回して逃げるほうがよっぽど都合がいいだろう。情報によると刺された瞬間は痛みを感じないというし。
まあ献血の穿刺のときは普通に感じるが。ぐあっというような電気のような鋭い刺激を。

話を戻して、第2段階はそういう失敗などがあったが、卒業検定ではしっかりと力を発揮した。
やったことのない停止線を過ぎた際のバックも、後ろを確認してバックできた。
よくこんなことまで頭の中に入っていたと思う。何気ない指導員の一言がそういう場面になったら
ふっと頭から呼び起こされて即座に行動にうつる。不思議や…。

かくして卒業検定に合格した我は、残すは学科試験のみとなった。
学科試験は、我が落ちるはずがないと踏んでいる(もちろん勉強は再度行う)。
水曜日にでも行きたいが、この日は雨。おそらく抽出試験で運転技能を確認されそうな気がするので、ワイパーの扱い方をあまり知らない我は雨の日は避けたい。しかも雨の日は難しい。
だが雨の日は免許を取りに行く人がすくなさそう。ううむ…。



海大作戦8β 海水浴の感想・考察

今日、はじめて能動的に海の中に自分で入った。
やはり怖いので、常時浮き輪を装着。ただし浮き輪の中に入るのではなく、浮き輪の端をもってとりあえず近くに置いておくだけの方法。
全体として、2つの予測できなかった問題が発生。
1つ目。浮き輪がどんどん岸へ流される。ちょっと手を離せば見る見るうちに浮き輪は岸の方へ流れて行って、少しの時間でとても遠くに。またそのため浮き輪を常に必要がなくても持っていなければならず、海水浴を生身で楽しんでいる感がない。
よってその解決策として、今度行くときは腕と浮き輪の間に1mくらいの紐でつないで、流れていかないようにする。なお、一応こちらも浮き輪がないとだめな人ではないが、あくまで保険程度に必要なのだ…。なんでか。我、泳ぐ力に乏しい。波が引いていなくても、なかなか前に進まない。
そんな中、沖に流されると…もうなんとなく想像はつくだろう。戻ってこれない。
ここで背浮きが重要なのだが、なんと上は空。自分がどこを向いているのかがまったくわからない。プールと違って近くに岸もないので。
あと背浮きをしていても鼻から不意に水が入ってくる。しかし気管には入ってこないのでとりあえず苦しくないし、別に焦るわけでもない。あと、海水が鼻から入ってきても、意外と鼻は痛くない。というよりのどの方が痛い気がする。もちろんこれのせいでのどが渇くことになるが。
波が来るのとは反対側に脚を向けるのがいいのかもしれないが、満ち潮時にこれをして背浮きで進もうとすると、沖の方向へいってしまう。ううむうまくかみあわない。
海ではちょっと背浮きの方法を変えないと。プールなどでは浮力が少ないのでまっすぐ上を見るか顎を突き上げ気味にした方が呼吸を確保しやすいが、海は浮きやすいので少々顎を引いてもいける。すると視点がやや前方に移るので、波のくる様子がわかる。
だが、終始海はちょっと怖かった。

それと、海は浮きやすいという理由により、やはり立ち泳ぎらしきこと、要するに手で水を掻いてその場に浮いてとどまるのも、やりやすかった。あまり顔を上げる必要がない。ただし波で口に水が入ることがあるが。鼻までは波はちょっと到達しにくい。いやあ鼻が口の上にあってよかった。
ちなみに口から入った水は容易に押し出すことができるので、とても楽。誤飲の心配がない。
舌で海水を押し出す。ただしやっぱり塩辛い…。
ほんま海水から塩分を効率的にとる機械とかがあれば売れるやろ。
非常時には海の水から真水を作れるし、平常時は塩がらくらく作れるかも。
ただ、立ち泳ぎをするにあたって、先述のとおり片手でうきわのひもを持っているので、つねに浮き輪が体に隣接してしまって、片方の手を動かせない。
よって一つの腕で浮いている方法になるが、これでもしっかりと浮ける。
何より、この浮き方で疲れにくいのが利点。あまり必死に何度も手で水をかかなくてよい。
これは落水した時に少しの間浮いて待っているのにはとても好都合。
普通に周りの状況や潮の状況も見れて気が楽。
しかしこれ、大きい波の日とかだと恐ろしい。頻繁に顔に水がかかって苦しい事この上ない。

また、浅瀬では、背浮きをするとより波が浅瀬では大きくなるので盛大に鼻に入る。
鼻に入ってしまう事故は、ほぼこれのせい。しかもやたらあおられるので、若干酔う。
さらには波にあおられてよく動かされる。

なお、海水温は大阪湾が19度少しで、入った時はちょっと冷たかったが、慣れるとなんと海の方が温かい。冷たいとまったく感じないようになった。なんかぬるいお風呂に入っているかのような。
これは本当に19度なのか疑問。
なお、その他海水浴客は冷たいと言っていた。まあ我は特にヒャド軽減メラ弱点程度なので、無理もない。それと波打ち際に座っていると、靴を履いた脚がすさまじい浮力をもって浮いてくるので、
まるでV字バランスかのようになる。なお、当の本人は体が非常に硬い。クラスでも1,2を争うほどの体の堅さだろうと断言できるかも。
とりあえず海は、不意になんかのボートなどに乗っていて落ちたときには、浮きやすいので楽なのかもしれない。長い間浮いているのは、どうしようか…。
そこでこう考えた。波の方に頭を向けるか、それか鼻を手で覆えばいい。
もちろんひじとかは水中に入れておく。こうすれば手が水面上に出て浮力は少し落ちるものの、
鼻から入るのを抑制できる。鼻から入ると排出するすべがない。
塩辛くなるし、ちょっと苦しい。鼻からの流入はどうしても避けたい。
しかし我は画期的な案を思いついた。衣服にはティッシュをポケットにいれていることがある。
それで、鼻血の時みたいにティッシュを丸めて鼻栓のように詰める。
するとなんと、何もしなくても鼻からの水の浸入を防げる!?我天才か。
だがそれでも、口から水が入って呼吸しようとしてもできず海水が入ってしまう場合がある。
しかし口からなら、即座に海水を感知して舌で水を入れないようにすることが咄嗟に我々はできる…はずなので、しかも幾分鼻からよりは苦しくない。よって口より鼻をふさぐの優先。
後はずっと背浮きでまっているだけ。

だがさすがに、海水浴で沖に流されて戻ってこれず、救助を待つ形で背浮き、あるいは誰にも気づかれずに何時間も経過、ではあまりに精神的かつ身体的なダメージがあるので、避けたい。
よって予測できなかった2つ目の問題。
浮き輪は岸に流されるのに、自身は流されてくれない。すなわち、とても進みにくい。
まあでっかい浮き輪を持っているのが原因かもしれんが。
よって今度は、コースロープのような海に貼られている場所で海水浴をしようと思った。
あそこなら、引きでも満ちでも関係ない。ロープか何かを伝っていけばいつでも戻れる。

よって、今度から気を付けるのは以下の2つ。
1,浮き輪が邪魔になりすぎず、かつその効果をいざとなったときに発揮できるように適度に離す
2,流されないようにすぐにつかまれる場所で遊ぶ(浮くあるいは泳ぐ)
これが重要らしい。
なお、浮き輪の使い道は、流された場合楽に岸に戻るため、あとそんな時に気分を落ち着かせるためのもの。さすがに浮き輪なしで沖に流されたときの不安感は絶大だろう。わかるわ…。
身一つで岸から離れた海の中に一人取り残されるこわさは、泳げない我にとってはそれはそれは恐るべし。流れが激しくないとそのまま背浮きで戻ってこれるが、これは頻繁に自分の場所と向きを確かめなければならず、ちょっと疲れる。
ただ、手で水を掻いて顔を水面に出しやすいので、沈む心配は少ない。
だがなにが心配かという陸が遠い事。もうこれに尽きる。
普通に落水などした場合には、とりあえず助かるためにいろいろと考えを巡らせるが、
あくまでも海水浴は「遊び」であるから、さすがにそんなことに(といっても馬鹿にできないが)頭に思いを巡らせて試行錯誤するのは得策ではない。
ちょうどドッヂボールでよけるのに、ナイフや攻撃をよけたりするのに使わないといけない瞬間的な判断能力を使うといったのと似ている。極力、そういうのは避けたい。

また何かあったら新しく記述しよう。写真もまだだし。
明日ひらパーに行けないものか…。今日は相当疲れたが…。
疲れているのにも関わらずもう日曜日にはひらパーでジェットコースター初乗り回し大作戦を考案中。我はいろいろとやりたいのであった。

海大作戦8α 海水浴実行前半

本日、ついに我は海に行ってきた。
だが今日は卒業検定もあったのでまずはその話からしよう。
いつも通り我は自転車に乗って教習所へ。なお今回は激突していない。
教習所に着くと、いよいよ検定の受験説明が行われる。発車、路上、方向変換または縦列駐車を行うことによる採点。実際は9時25分位から開始された。
我は路上に出た後、所定のコースをとり、あと駐車と発車もさせられた。
なお我の指定されたコースは3コース。これは先週土曜日事故になりかけた危ない危ないコースで、かつその次の日に自転車で激突された日に乗っていた日のコースでもある。
いわば、最近3連続で練習したコース。因縁の交差点がある場所である。
よって我は緊張しながらもなんとか終えることができた。
2回ほど交差点の黄色信号に差し掛かってしまった。だが我は黄色信号で直行せず事なきを得る。
なにしろ検定なので、やはり念のために停止した方が良い。

そして我はなんとか検定を制することができ、残すは門真の学科試験だけとなった。
しかしや。なんと我の後の人物、信号無視で失格。何度かあそこの信号は気を付けるように言われていた我にとって不覚はなかった、というよりそのコースは通らなかった。

その後卒業式が発生し、無事にすべての車の運転を終了した。ついに免許目前となったので、
あとは学科試験に合格するのみ。その後、自動車での移動の時代が到来、しない。
我は自動車は極力運転しない予定。移動方法で、自分で車を使うなどは、完全に選択肢の中にはない。人生で最後の自動車になったのかもしれない。

そしてその後は待ちにまった海水浴。
二色の浜まで車で行き、いよいよ海を目前にみることとなった。
ちょっと今日は疲労したらしいので、なんか書く気が起こらない。
理由はおそらく、波にあおられたのが原因か。
背浮きが危険なのはとりあえずわかった。ひたすらじっと待って助けを待つのにこれを行うに越したことはないんだが、実際状況としては海水浴。自分がどこを向いているのかが全然わからない
。後、鼻に水がかかるのが予測しづらい。まあこの辺りは次回行ったときにいろいろ確認したりするが。何度か鼻に水が入り込んできてそのまま胃まで流れたことが。また海水、これが塩辛い。
これはもう水は必須か。のどが渇く。もちろん鼻から水が入れば、やはり気管に入り込む可能性が考えられるが、入らなかった。ただ昔はよくこれでむせて苦しかった覚えがある…。
まあ、詳しいことは後半で書いていこう。