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2017年4月4日火曜日

物理実験 「水」実験の計画とその理由

「水」実験といっても、高いところから水に着水するわけではない。今首を痛めているし、そもそも高所から飛び降りなければいけない状況で、下に水とかいうシチュエーションは極めてまれ。
ありえるとすれば飛行機の墜落程度。まず飛行機に乗る頻度など高層ビルへ行くのに比べて極めてまれ。その墜落の中でも空中に投げ出され、かつ落下地点が水というより起こりにくい状況を考えるので、もういい。

そういうわけで、水に関する実験で、この疑問を解消したい。
この疑問は、かつて小さい頃からの体験が影響している。

昔、我は習い事ということで、プールに通っていた。もちろんこのころ3歳くらいで、もはや自分の意志も覚えていないというか、そんな感じの時期である。
もう何をプールでしたのかも覚えていないが、少なくとも深さ数十cmのところで手だけをついて進むようなことをやっていた。

まあそれはいいとして、問題は小学校に入ってからの話。
運動が特に苦手な我は、小学校低学年から、例に漏れずプールを苦手とした。
中学年頃には、プールに入りたくない一心でプール中にトイレに行きたくなったり(本当にいきたくなっていた可能性大)なぜかプール用具を忘れて学校に行ったり…。
それで小4の頃廊下側の席でプール用具忘れをしたのはプールに入りたくないからかと問いただされたのは今でも残る苦い思い出。
小4の頃は突然担任がこれまでの3年とは違ってアクティブな女教師で、始業式当初から急がされたりで、これは大変な1年になりそうだと子供心に思ったものだった。

なお、プールは小学校中学年までは苦手意識の塊で、もうプールの日が憂鬱になっていたのだろう。同じくよくいじめられていた気がしたので、とてもつらかった。そのため4年頃にはこういったことが災いしたのか、金曜日あたりに腹痛で休むといったような状況で、同級生からは「パンク」したといわれていた。
それでもたぶん成績はずっとよく、100点が多く、算数に至ってはもう100点以外が激レアであったほど。友達からはよく勉強教えてといわれたり、おとなしくて面倒見がよく、ほか自分の世界を展開して独特の雰囲気があったのだろうか、女子によく気に入られ、男子は自分だけで家に招待されたりしたことも複数あった。
かつて書いた2007年11月4日の生駒山上もそれが名残である。
あの頃から算数はできたんや。1,2年ではもうすでに2桁×2桁の掛け算ができつつあったはず。
まあ唯一そろばんだけはできず、暗算で完全に耐えしのいでいたが。

そう。そろばんは今は必要ない。なぜかって?
こんな計算をそろばんや暗算や電卓でできるわけがないやん。

そんな感じで小学校時代は「今思えば」実は幸せだったのかと思う。
いじめてきた人は最終的にはたぶん全員いつのまにか卒業までには仲良くなっていた。
それでも体育はずっと苦手で、中学校高校、大学に入っても苦手なままだった。
誰にでも苦手はあるんやから。しょうがない。それができなくて死ぬことはないし。
クロールができなくても死なない。背浮きができれば十分。
逆上がりできなくても死なない。そんなことを要求される極限状態、まずない。
跳び箱…やマット運動…は、意外と悪くはなかった模様。高めの跳び箱も飛べていたし、
マット運動も先生にそこそこの評価をもらったし。

ただ、ドッヂボール。これはあかん。これは誰が産み出したか知らないが、苦手な子供に恐るべき恐怖を与える球技である。
あの誰かに狙われる感覚。もう想像しただけでも恐ろしい。
あれがうまくなったところで意味はあるのだろうか。
銃弾などよけることはまあ無理だろうし、ナイフもって襲ってこられたら…まあよけるのには役立つかもしれないが…。
これは小学校から中学校でも大いに悩まされた。

先生が「今日は特にやることないからドッヂボールしよか」   もうやめて

スポーツ交歓会や球技大会は大概これが入ってくる。もうつらいことつらいこと。
ほかの人にボールを思いっきり当てられるのがとても精神的につらい。
肉体的にはもちろんボールなので死にもしないし、内臓がつぶれるほどの威力でもない。
これが死に至るようなとげとげボールだったら必死だっただろうが…。

そんなわけで、体育の中でもっとも嫌いなものはドッヂボール。これは生涯揺るがないだろう。
すぐにわざと当たって外野に行くのがお約束。
最初から外野に行きたくても拒否されることが多く、泣く泣く内野に。
時にはみんなの見ていないときを見計らい、こそっと外野に入り込んだりする。
位置的に中央ラインから相手の内野の外方向へするぅっと抜けていく感じ。
そして中央位置ぎりぎりに陣取り、少しずつ自身の外野方向へ進んでいき、自然な感じで
カモフラージュ。こんな感じだった。いや本気で。

そんな大嫌いなドッヂボールの次に嫌いであったともいえる水泳。ただ実は不思議なことに、高学年になるといやではなくなり、むしろ好きなほうになった。それと同時に「着衣水泳」なるものに興味を持ち始めた。

小学校低学年では、水が怖かった。足のつかないところにいくのがとても怖く、身長もプールに対して小さかったのが原因か。いやだって足がつかないとおぼれるやん…的な感じ。
「宝探し」とかいってプールのそこに何かをまいて、それをとるように先生が言うのだが、我はそれに貢献できない。まず、顔を水につけられない。もぐれない。怖い。

そんなわけで、もはやプールの授業は恐怖そのものだった。
そんな具合なので、もちろん泳ぐこともできなかった。

中学年に入り、なんと25m泳げない人は特別訓練のような感じで、夏休みに召喚されるようになった。いわずもがな我はその対象で、中学年頃にはなんとかかろうじてけ伸びができる程度でクロールなどもはやほとんどできず、泳げる最高記録はせいぜい5m。
きっとこんなんで川に転落してたらやっぱり死んでただろう。
この訓練で、先生に体を持ってもらって背浮きやクロールの練習をしたが、それはそれは怖くて
先生の手を握りすぎ。特に、背浮きはもう怖さを極めた。何しろどうやって脚をついて立つ姿勢になれるのかわからなく、おぼれるような気がしたから。
過去におぼれかけて恐ろしい眼にあった記憶はないんだが…。
飛び降りと同じく想像が強すぎるのかな。自分の世界がRPG作成などでやたら大きいし、
大学のプレゼンにも自分の世界観を持ち込んだし…。
小学生ながらにおどろくべき継続力(朝刊の天気の切り抜き数百枚、自分で作った本300ページなど)を誇っており、自分で作ったキャラなどもすでに中学年から発生していた。
想像力が強かった弊害ともいえるのかもしれない。

もちろん水が怖く、水の中で眼を開けるのがとても怖いので、いつもゴーグルをしていた。
たまに水中で立ち泳ぎができるかやってみようとしたが、手と脚を動かしているのに体はどんどん沈んでいき、すぐに呼吸ができなくなる。その時間わずか数秒。

高学年では、特別訓練の成果、なんとかクロールらしきよく分からない泳ぎで、25mをぎりぎり泳ぎきることに成功した。みんな見ていたかは知らないが、拍手が起きていたかもしれないが、必死でそんなことはまったく分からなかった。
何しろ手で水をかいて呼吸を必死にするが、その反動で、体はより深く水の中に沈む。
これを繰り返していた。今思えば、これは犬掻きだったのではないかと。必死の犬掻き。
おぼれているような状況。

また小6で、着衣水泳なるものがあった。長袖長ズボンで背浮きをしてみようということだったが、
まだそこそこ水に抵抗感のあった我は、まず背浮きの状態になることすらできずその貴重な回は幕を閉じた。

中学生になって、学校でプールに入ったのは一度きり。中1の頃、水練ということでプール実習があった。2日か3日くらいあったが、初日はすさまじい(人生経験した中で最大)大雨により中止。
だが我はこのときになってもクロールはできなかったし、水の中で眼を開けることもできない。
しかし、犬掻きの方法を勝手に習得した。少し暇なとき、手と脚で水をかいていたら、なんと顔をだして浮いて進みことに成功したのだ。
これで少しは水に落ちたときの生存確率が高まった。よかった。

しかし実は、趣味で、プールには小学校高学年から中学校まではよくいっていた。
ただプールで遊んでいたといっても、水中ジャンケン(もちろんゴーグルあり)やエビフライ(バタフライのオマージュ)くらいだろうか、泳ぐことも背浮きをすることもできなかった。

しかし、高3の頃、大きなプールが購入でき、これで秘密の特訓をしようと考え始めた。
だが受験中であったのでその願いはかなわなかった。
そして、ついに我が願いをかなえたのは、大学1年の夏である。

我は親に見られるのが恥ずかしいので、別の家でプールを置かしてもらい、そこで練習をした。
その練習とは、「背浮き」である。
我はここに至るまでさまざまな知識を得た。水に落ちたときに生き残るための手段として。
その中で我にとってもっとも楽で、かつ極めて効率的という。
これが実践できるか、体操服およびシューズを着用して、いよいよ水に浮いてみた。
するとなんと、水に浮いた。
このとき我の生存率がわずかに上がった。

やはりシューズの浮力がかなり大きかった。プールなので淡水で、海水より水には浮きにくいはずだが、このころ肥満最高潮(76kg)で脂肪があったのか、また低いプールで安心感もあったので、背浮きに成功した。
これができたらもうしめたもの。どんなに水深が深くても背浮きで呼吸ができることがわかったので、一気に水に対する恐怖感が薄まったはず。

だが、かねてよりの願いであった立ち泳ぎをやってみたい(というより立った姿勢のまま呼吸がしたい)という願いは、プールの水深があまりにも浅すぎて、犬掻きすらできなく、失念。

そしてその残念さは今になっても続いている。
飛び降りに関してはこの前2.7mからコンクリに飛び降りて着地直後無傷、その後軽度中の軽度のむちうち、脛骨を少しいためたり、打撲気味になったりしたが…。
立ち泳ぎや背浮きは、これら飛び降りに関して危険度が少ない。
体に衝撃が全然加わらない。(当たり前やん…)

いや待てよと。どこかから転落する可能性があったら?
足のついているところで背浮きの体勢になることはたやすい。しかし船の上や岸から転落したり津波が発生したりしたら?
津波に関してはちょっと別要因が絡むので(頭の保護や津波襲来時の衝撃など)保留するが、
こういった状況は起こりえる。
もちろん水への「転落」なので、衝撃が伴う。
そんな時、飛び降りの練習が役に立つ。
たとえば高めの船から飛び降りなければならないとき、一度コンクリへの着地を経験していれば、ある程度の高さがあっても(せいぜい数m程度なので)下は水なので怖がらずに飛び降りられるし、
途中で姿勢を崩して胴体を水に打ち付けることも少なく、あとは浮き上がってくるだけ(背浮きの体勢でじっと待ってけばいいだろう)で助かる。
あと、不意に転落した場合、姿勢が崩れるので、脚から着水できない。
だが、落下時の胴体への衝撃をあらかじめ知っておいたりすることで、なんとか耐えられるかもしれない。というよりむしろ釣りなどをしていて海に落ちて死亡といったような事故で、単純に海に落ちただけで死因は落下時の衝撃とかはまず聞かないだろう。

そういうわけで、飛び降りと背浮きの両方を練習しておけば、いざというときの水難事故でもそこそこ安心。さすがに滝から落ちればちょっと残念だが…。

ただ背浮きの問題点は、一般には重心と浮心の位置のずれで、力のモーメントにより徐々に脚が沈んでいくという現象。こうなると、立った姿勢のようになり、ちょっと浮力を得づらくなりそう。

だが我は靴なしでもやってみたが、たぶん脂肪の関係だろう、息を吸い込んでいれば余裕で顔が水面に出る。顔の半分はでるといった感じ。さすが脂肪。衝撃にも水難にも強い。
いやあ脂肪もいがいとおろそかにできない。ただもうちょっとやせねば…。

ただ問題は海水である。海水はより浮きやすく、背浮きは楽になる。
だが、海に落ちた場合危険なシチュエーションは主に3つくらい。
1、海の水が低温で低体温症で死亡
2、サメなどに食べられる
3、波にあおられ呼吸ができなくなる
これらが結構無視できない危険な状況。
2は、出血でもしていない限りあまり食べられることはないだろうと信じておく。
それよりもっと問題なのが1と3である。
まして1は、冬に北の海に落水すればもう大惨事。
なんで死ぬかって?それは…自然が無秩序を保とうとするからやろ。
だから均一化しようとして熱が平衡に達しようとするため結果体温が奪われて死亡。
やっぱり自然のしわざか。
防ぐには服により体温を保温するしかない。この点で服は重要。
しかし0度とかではもはや無意味な気もするが…。
3は、これは我が解決したい問題。
プールで背浮きは、とりあえず楽。
しかし海ではそうはいかない。なぜなら波にあおられるからである。
波にあおられるとたしか表面張力が低下して浮力を失ったりするらしいし、
波がのしかかったその反動で水中に沈んでしまうし、顔にたびたび海水がかかって呼吸が難しい。だがこれは浮力をより高めれば解決できるもんだいだろうから、
背浮きの状態で、とりあえず空気が顔にあたるまで待つか、両手で水をかいておけばなんとかなるんじゃないかと考えている。
どこぞのアニメか映画で嵐の海に投げ出されて…とかいう状況があって、基本そのシチュエーションではその人物はもういないものとして扱われるのも、たぶんこれが影響しているのではないか。

ということで、3を解決するため、浮力を得たい。
浮力を得るための方法は以下に記す。
1 大きく息を吸い込んで呼吸はすぐに
2 運動靴は履いておく
3 服は着ておく
4 なるべく手足は水中に
5 太る
6 手で水を下にかく
7 体の表面積を大きくとる
8 水をなるべく低温の4度にする

すぐ思いつくのはこんな感じ。5と9はもはやネタだが、太れば脂肪がついて、「しぼう」だけにより死亡しにくくなる。 油が水に浮く原理と同じ。
9について、自然がそうなっているのでしょうがないが、4度の水は密度が大きい。したがって浮きやすい。
実はわれ、油の中に落ちるとどうなるのかとたまに考えるが、相当手や脚で油をかかないと浮いていられないのかと考えている。ただそんな状況は皆無に等しいので、パス。
実用的なのは、1と2と3と4と6と7って、5と9以外全部やないかい。

1の理由は息を吐いていると沈んでしまうので、一気に息を吐いて、体が沈んでしまう前にもう一度大きく息を吸い込んで沈みかけた体を再び浮かす。これはいつのまにか実践していた。
だが難儀なことに、これでは長時間浮いているときにつらい。そこのところは実践的に慣れかな。
2の理由は、我も体験したが浮力の問題そのもの。
ただ、上履きなどはたしか水に沈むので、すぐに脱いだほうがいいかもしれない。
あと靴を履くメリットは、障害物のため、というが、あまり我はそこは良く知らない。
3の理由は基本服がずぶずぶ水中にいれて水の中に一気に沈む、ということはあまりないだろうし、なにより服に空気が溜まってくれるので、とてもありがたい。しかも保温効果もあるという、すばらしいもの。
4は、やはり浮力の問題で、手足を水中に入れておけばその分頭部が浮いて呼吸しやすくなる。
6は、持続的により大きな浮力をえられる点でうれしい。あと少しだけエネルギーを消費するはずなので、低体温症防止にはいいのではないかな。
いやあやっぱり手のひらはすばらしい。水で浮力を得られるし、手を傷口に当てると安心する効果もたぶんあるし、止血には最適。おまけに飛び降り時に上半身もすこしはささえられるし。
7は、まあ大の字がいいのだろうと思ったが、実際やってみると、頭の上に手を伸ばすとより頭のほうが浮くことが分かった。ただこれでは手で水をかけないので、足の部分の状況との兼ね合いで考える必要がありそう。

ところで、水中で姿勢の転換はできるのか。空中では飛び降り時にどうがんばっても超高所からでは脚からの落下はほぼ不可能であるが、水ではできると思う。抵抗が大きいから、その分受ける力も大きく姿勢を正しやすい。

あと、もぐったりする必要はないが、もぐるのはどうするのか、実はまあまあ気になっている。
意外と簡単そうで難しそうだし、あまりもぐりすぎると水圧の関係で浮き上がれなくなるという恐ろしさ。どんなに水をかいても浮くことができず絶対の死が待っている怖さ。想像するだけで恐ろしい。

いや何が恐ろしいかって、もし錘をつけられて水の中で浮くことができずに呼吸ができない状況。これはもう想像しただけで恐怖。
こんな状況下でできることといえば、深く考えないことで脳の酸素消費をおさえて少しでも長く生きながらえることや、手で口を覆って必死に吐いた息を手のひらの中に溜めてもう一度吸う(なおこの方法、実際にやってみてがだめらしい…。)、服があるならそこに吐いた息を溜める。
ただ、吐いた息をためてもう一度大きく息を吸い込もうとすると、ほぼ確実にその吐いた息分では足りずに、苦しくなって死亡するだろう。
万が一沈められる瞬間に思い切り息を吸い込んで、その後服の中に空気を溜め込んだ場合でも、
少しの間空気があって呼吸ができるが、次第に自信の呼気で二酸化炭素濃度が増え、最終的に二酸化炭素に命を奪われる。
自分の呼吸で自分の命が奪われるとは、なんとも皮肉である。
これは意外と雪に埋もれたり深海で潜水艦に空気供給が停止したりしたときとかに起こり、じょじょに酸素がなくなって苦しくなる過程が怖い。だが呼吸したさに思い切り息を吸い込んで一気に肺に水が入り込んで苦しむのもまた怖すぎるものである。
あと、自身の呼吸による呼気はかなり温かく、布団の中にこもっていたり水中でビニール袋をかぶって空気をためてそこで呼吸しているとわかる。

我々の世界で、CO2重結合をはずすことができるようなエネルギーが容易に生み出せたりしたならば、火事の煙で命を失ったり前述のような二酸化炭素中毒で死ぬことは激減されるのかなあと思う。やはり、ここにも自然の法則、熱力学第1法則が働いている。
第1種永久機関が存在すればなあ…。

そんなわけで、水に対しても結構な興味があるので、自ら浮くための手法を確立したいと思っている。
そのためにはなるべく実際の状況に近い形で、服と靴をきたまま、深いプールで実験がしたいんだが…。
そんなことができるプールがなく、やろうとすれば本当に川や海になり、これは結構また危ない領域に…?

あと、余談だが、水の中で自分で眼を開けることができるようになったのは、
ここ数週間である。たぶん。長らく背浮きをしていても水中に眼をつけることがなかった。
眼を水中で開けるのは怖かった。何しろシャワーで眼に水が少し入ってもそこそこ痛いような感じだったから。
しかし、案外水中で眼を開けても痛くなく、定期的に眼をとじてまばたきをすれば眼をあけていられることが判明。ただ水の温度、海水か淡水、泥水かそうでないかにも寄るだろうが。

なお、水中で眼を開けると、驚くほどに景色が見えない。残念。